世界で初めて体外受精で産まれたルイーズさんの言葉
- 2018/05/16
- 09:40
英国で世界初の体外受精児、ルイーズ・ブラウンさんが誕生したのは
1978年のことです。
人間の体外受精研究は1940年代から開始されましたが、
その臨床応用がされたのは1971年。
それ以降、数々の失敗もありながら、
1978年に無事、誕生したのが
ルイーズさんでした。

私が生まれたことが、
世界中にあんなにも衝撃を与えると両親は思っていなかったようです。
世界で初めて体外受精で生まれた人間ということで、
私の誕生の是非を論じる政治家、宗教指導者、医師、
および科学者たちには「試験管ベビー」とよばれました。
でも、両親にとってはただひとつのシンプルなものを意味しました。
それは、ついに、自分たちの子どもと呼べる存在を
得ることができたということでした。
家族に対して嫌がらせの手紙が送られてくる一方で、
なかなか子宝に恵まれないご夫婦たちから、
私の誕生に希望を見出したという手紙が何百通も届きました。
今では、日本でも約20人に1人の割合で
誕生している、といわれる体外受精児。
最初の出産は、世間にはかなりの驚きをもって
受け止められたことがわかります。
体外受精で生まれた私に対して、
人々は私には何か欠陥がある可能性があると言ったり、
身体的な欠陥が無いことが判明すると次は、
私がスーパーマンだとか念力で
物が動かせるかもしれないと話し始めました。
また、私には魂が無いなんて言う人も…。
「今までに前例がない」という理由だけで、
好奇の目で見られてしまうつらさも
あったに違いありません。
そんな中でも、
こうして、ルイーズさんがご自身の出生について
語ることができるのは、
ご両親が、ルイーズさんにありのままを
自然に受け止められるように説明していたからに他なりません。
両親は私が4歳の頃に、
私が帝王切開で産まれてくるときのフィルムを見せてくれました。
また、ありがたいことに、
早めに事情を説明してくれました。
おかげで、私は他の人と違う方法で生まれてきたことを理解し、
学校でヘンなことを言われても、
常にマスコミが興味を示してくるワケもわかっていました。
そんな中でも、
ルイーズさんの両親や、ルイーズさん自身は
「特に他の子供たちとかわることのない人生を
送るだろう」と考えていたようです。
両親は私が平凡な人生を送ることになるだろうと考えていました。
そのとおり、私は地元のブリストルで普通の仕事を持ち、
2人の愛する息子たちと暮らしています。
ちなみに、私自身は自然に妊娠したのでIVFは必要ありませんでした。
IVFで生まれてきた人たちは、当たり前ですが他の皆と同じです。
イイ子もいれば悪い子も、賢い子もいればそうじゃない子もいます。
生まれてすぐに私を調べた医師が
最初に発した言葉は
「普通の赤ん坊」
だったそうです。
そして大人になり、私は普通の女性になりました。
私たちは、普通の人間です。
ただ生まれてくるのに、科学の力を少し必要としただけなんです。
不妊治療をしていると、
「自分たちが子供を授かることができるかどうか」
という視点になりがちです。
しかし、その先には当然のことながら、
産まれてくるお子様ご自身の長い人生があります。
このインタビューの中で、
ルイーズさんはこのようにも語っています。
IVFは中年期以降に子どもをもつことにした女性たちの助けになっています。
このことについて、個人的には良くもあり悪くもあるように感じています。
50代で初めての子どもを産むことが心配なのです。
どんな女性でも年齢でも子どもが欲しいという気持ちは否定しませんが、
子どもにとって彼らが歳をとったときに、あなたがそこにいることが大切だと思うんです。
ここに引用していない部分にも、
考えさせられることや、治療に際する心配が
少しやわらぐような言葉など、たくさん語られています。
その先を生きていく子供の視点を知る意味でも、
とても貴重なインタビューであるとともに、
ご自身の体験、想いを語ってくださっているルイーズさんは、
「普通」でありながらも、まわりの人たちを思いやることができる
すばらしい女性なのだと思います。
弊社で提供している、
卵子提供や代理出産も、
体外受精の技術が確立したからこそできるもの。
これから先も、
さまざまな技術が進化していくと思われますが、
ご両親が体外受精に踏み切り、
無事、産まれてきたルイーズさんの言葉は
不妊治療中の方々には特に、
響くところも多いのではないかと思います。
インタビュー部分は、以下より引用させていただきました。
ぜひ、ご覧になってみてください。
世界初の試験管ベビーは37歳、その人生を語る
1978年のことです。
人間の体外受精研究は1940年代から開始されましたが、
その臨床応用がされたのは1971年。
それ以降、数々の失敗もありながら、
1978年に無事、誕生したのが
ルイーズさんでした。

私が生まれたことが、
世界中にあんなにも衝撃を与えると両親は思っていなかったようです。
世界で初めて体外受精で生まれた人間ということで、
私の誕生の是非を論じる政治家、宗教指導者、医師、
および科学者たちには「試験管ベビー」とよばれました。
でも、両親にとってはただひとつのシンプルなものを意味しました。
それは、ついに、自分たちの子どもと呼べる存在を
得ることができたということでした。
家族に対して嫌がらせの手紙が送られてくる一方で、
なかなか子宝に恵まれないご夫婦たちから、
私の誕生に希望を見出したという手紙が何百通も届きました。
今では、日本でも約20人に1人の割合で
誕生している、といわれる体外受精児。
最初の出産は、世間にはかなりの驚きをもって
受け止められたことがわかります。
体外受精で生まれた私に対して、
人々は私には何か欠陥がある可能性があると言ったり、
身体的な欠陥が無いことが判明すると次は、
私がスーパーマンだとか念力で
物が動かせるかもしれないと話し始めました。
また、私には魂が無いなんて言う人も…。
「今までに前例がない」という理由だけで、
好奇の目で見られてしまうつらさも
あったに違いありません。
そんな中でも、
こうして、ルイーズさんがご自身の出生について
語ることができるのは、
ご両親が、ルイーズさんにありのままを
自然に受け止められるように説明していたからに他なりません。
両親は私が4歳の頃に、
私が帝王切開で産まれてくるときのフィルムを見せてくれました。
また、ありがたいことに、
早めに事情を説明してくれました。
おかげで、私は他の人と違う方法で生まれてきたことを理解し、
学校でヘンなことを言われても、
常にマスコミが興味を示してくるワケもわかっていました。
そんな中でも、
ルイーズさんの両親や、ルイーズさん自身は
「特に他の子供たちとかわることのない人生を
送るだろう」と考えていたようです。
両親は私が平凡な人生を送ることになるだろうと考えていました。
そのとおり、私は地元のブリストルで普通の仕事を持ち、
2人の愛する息子たちと暮らしています。
ちなみに、私自身は自然に妊娠したのでIVFは必要ありませんでした。
IVFで生まれてきた人たちは、当たり前ですが他の皆と同じです。
イイ子もいれば悪い子も、賢い子もいればそうじゃない子もいます。
生まれてすぐに私を調べた医師が
最初に発した言葉は
「普通の赤ん坊」
だったそうです。
そして大人になり、私は普通の女性になりました。
私たちは、普通の人間です。
ただ生まれてくるのに、科学の力を少し必要としただけなんです。
不妊治療をしていると、
「自分たちが子供を授かることができるかどうか」
という視点になりがちです。
しかし、その先には当然のことながら、
産まれてくるお子様ご自身の長い人生があります。
このインタビューの中で、
ルイーズさんはこのようにも語っています。
IVFは中年期以降に子どもをもつことにした女性たちの助けになっています。
このことについて、個人的には良くもあり悪くもあるように感じています。
50代で初めての子どもを産むことが心配なのです。
どんな女性でも年齢でも子どもが欲しいという気持ちは否定しませんが、
子どもにとって彼らが歳をとったときに、あなたがそこにいることが大切だと思うんです。
ここに引用していない部分にも、
考えさせられることや、治療に際する心配が
少しやわらぐような言葉など、たくさん語られています。
その先を生きていく子供の視点を知る意味でも、
とても貴重なインタビューであるとともに、
ご自身の体験、想いを語ってくださっているルイーズさんは、
「普通」でありながらも、まわりの人たちを思いやることができる
すばらしい女性なのだと思います。
弊社で提供している、
卵子提供や代理出産も、
体外受精の技術が確立したからこそできるもの。
これから先も、
さまざまな技術が進化していくと思われますが、
ご両親が体外受精に踏み切り、
無事、産まれてきたルイーズさんの言葉は
不妊治療中の方々には特に、
響くところも多いのではないかと思います。
インタビュー部分は、以下より引用させていただきました。
ぜひ、ご覧になってみてください。
世界初の試験管ベビーは37歳、その人生を語る
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