不妊治療を経て2度目の現役、そして引退なさった伊達公子さん。インタビューから垣間見える不妊治療の進歩への想い
- 2018/03/19
- 13:45
昨年、46歳でプロテニス界を引退した
伊達公子さん。
プロテニスプレーヤーとして2回目の挑戦は、
37歳のときから。
最初の引退は、26歳のとき。
ファーストキャリアの時は、
ランキングを少しでもあげることにこだわるあまり、
とてつもない練習量をこなし、ツアーに臨んでいたと言います。
相手に勝つことだけに達成感を見いだし、
選手生活を送っていたものの、
自分の中でテニスを続ける意味が見いだせなくなって
しまったとのこと。
そして、テニス嫌いになってしまい、引退直後には、
ラケットを握ることすらしなかったといいます。

そして、それから11年後からのセカンドキャリア。
復帰したときの心境について、
STORY 2月号のインタビューで
伊達さんはこう語っています。
「もちろん、不安がなかったかというと嘘になります。
でも、やりたいという気持ちを心の奥底に見つけたからには、
そこに留まる後悔よりも、踏み出して失敗したほうがいい。
周りからは当然、いろいろな声があがるだろうと思っていました。
でも、それは自分の人生。年齢を重ねたから夢をあきらめなくちゃいけない、
何かをしちゃいけない、なんて理由はないはずですから。」
そして歩み出したセカンドキャリアでは、
自分の肉体へのチャレンジの連続。
もっと練習をしたい気持ちがありながらも、
体がついていかない。
そんな中でも、復帰の翌々年には
世界ランキング46位に。
テニスをやりたい気持ちと体のバランスを取りながら
続けて行くなかで、
引退時の気持ちは1回目のときとまったく違っていたといいます。
テニスが好きで好きでたまらない。
できれば続けたい、テニスから離れたくない。
一度、テニスから離れながらも
心の底からわき上がってきた気持ちに正直に
チャレンジした結果、得られた充実感なのではないかと
思います。
そして、インタビューの後半で、
1回目と2回目のキャリアの間に、
不妊治療を続けていたことを語っています。
パートナーとともに、いろいろな治療にチャレンジしたものの、
結果がでなかったこと、
不妊治療はスポーツと違って、努力すればそれなりの結果が出る、
失敗しても次の結果につながるということにはならなかった。
とのこと。
そして、ご自身の今後について、
テニスについては、子供たちがテニスに触れたり、練習できる環境を
もっと整え、テニスというカルチャーを確率させていきたい、
という目標と同時に、
このようなことも語っていらっしゃいます。
「不妊治療技術も進化しているでしょうし、
47歳になった今も、子供を授かる確率が
ゼロになったわけではないかな、と(笑))」
伊達さんが、不妊治療を断念し、
競技の世界に戻ったのが約10年前。
たしかにそれからの約10年間で
不妊治療の技術も進化してきています。
そして、先日の丸岡いずみさんの
代理出産の件での一般的な反応からも、
不妊治療に対する世間一般の受け止め方も
かなり代わってきているといえると思います。
もし、
以前一度、
不妊治療を断念したものの
そのときにはとらなかった方法を含め、
検討してみたい...
と、お考えの方、
卵子提供や代理出産も
視野に入れていらっしゃる場合、
ぜひ、当社にご相談いただければと思います。
伊達公子さん。
プロテニスプレーヤーとして2回目の挑戦は、
37歳のときから。
最初の引退は、26歳のとき。
ファーストキャリアの時は、
ランキングを少しでもあげることにこだわるあまり、
とてつもない練習量をこなし、ツアーに臨んでいたと言います。
相手に勝つことだけに達成感を見いだし、
選手生活を送っていたものの、
自分の中でテニスを続ける意味が見いだせなくなって
しまったとのこと。
そして、テニス嫌いになってしまい、引退直後には、
ラケットを握ることすらしなかったといいます。

そして、それから11年後からのセカンドキャリア。
復帰したときの心境について、
STORY 2月号のインタビューで
伊達さんはこう語っています。
「もちろん、不安がなかったかというと嘘になります。
でも、やりたいという気持ちを心の奥底に見つけたからには、
そこに留まる後悔よりも、踏み出して失敗したほうがいい。
周りからは当然、いろいろな声があがるだろうと思っていました。
でも、それは自分の人生。年齢を重ねたから夢をあきらめなくちゃいけない、
何かをしちゃいけない、なんて理由はないはずですから。」
そして歩み出したセカンドキャリアでは、
自分の肉体へのチャレンジの連続。
もっと練習をしたい気持ちがありながらも、
体がついていかない。
そんな中でも、復帰の翌々年には
世界ランキング46位に。
テニスをやりたい気持ちと体のバランスを取りながら
続けて行くなかで、
引退時の気持ちは1回目のときとまったく違っていたといいます。
テニスが好きで好きでたまらない。
できれば続けたい、テニスから離れたくない。
一度、テニスから離れながらも
心の底からわき上がってきた気持ちに正直に
チャレンジした結果、得られた充実感なのではないかと
思います。
そして、インタビューの後半で、
1回目と2回目のキャリアの間に、
不妊治療を続けていたことを語っています。
パートナーとともに、いろいろな治療にチャレンジしたものの、
結果がでなかったこと、
不妊治療はスポーツと違って、努力すればそれなりの結果が出る、
失敗しても次の結果につながるということにはならなかった。
とのこと。
そして、ご自身の今後について、
テニスについては、子供たちがテニスに触れたり、練習できる環境を
もっと整え、テニスというカルチャーを確率させていきたい、
という目標と同時に、
このようなことも語っていらっしゃいます。
「不妊治療技術も進化しているでしょうし、
47歳になった今も、子供を授かる確率が
ゼロになったわけではないかな、と(笑))」
伊達さんが、不妊治療を断念し、
競技の世界に戻ったのが約10年前。
たしかにそれからの約10年間で
不妊治療の技術も進化してきています。
そして、先日の丸岡いずみさんの
代理出産の件での一般的な反応からも、
不妊治療に対する世間一般の受け止め方も
かなり代わってきているといえると思います。
もし、
以前一度、
不妊治療を断念したものの
そのときにはとらなかった方法を含め、
検討してみたい...
と、お考えの方、
卵子提供や代理出産も
視野に入れていらっしゃる場合、
ぜひ、当社にご相談いただければと思います。
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